落語や狂言

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「噺家(はなしか)殺すにゃ刃物はいらぬ あくびの一つもあればよい」
という言い方をされることがある。


また、
「笑いなくして即死する」という表現もあるが。
なかなかどうして、どうして、図太く生き延びhome gym equipmentている噺家も多い。

だけども、三遊亭円生のことばに
「笑いがないのに、お客を厭(あ)きさせず、最後まで噺を聴かせるのが最高の芸人」
というのがある。
笑いをとるばかりが噺家の役目ではなさそうだ。

また、江戸時代から、幕府御用狂言師を勤めた大蔵流狂言の
明治期の初世・山本東次郎の芸談に
「演じている時に、見所で笑いがおこったりM2數學すると、楽屋に引きあげた時に
父親から『どうして、人を笑わせるような下品な演技をした』と叱られたという。

芸にあらわれているユーモアのセンスやウィットといったものが大切で、
爆笑を呼ぶことだけにこだわってはいけない中醫婦科 という戒めが込められていたようだ。
実際、笑いのない喜劇は、面白みがないが、
笑いをとるためだけに汲々としている芸は、どこか疲れてしまうところがある。



暑さ さえ感

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今日は一転、冷たい風が吹き、
いよいよ冬に向かっていることを感じた一日でもあった。
ふと、通りを歩いている時に、葉鶏頭(ハゲイトウ)を見かけた。



この植物、かなり古い時代に中国から伝来したようだ。
『枕草子』にも、
この葉鶏頭について書かれた一節がある。
そこ深港通 股票には、
「かまつかの花 らうたげなり
名ぞうたてあなる 雁の来る花とぞ 文字には書きたる」とある。
ちょっと表現がむずかしいが、
現代文にすると、
「葉鶏頭の花は、いとおしく可愛い。
雁の来る花という、胸がキュンとするような名前が書かれている」
という意味になるだろうか。

葉鶏頭を意味する「かまつかの花」という名前は、
今では、別の花の名になっているが、
「雁来紅」という名は、今でも葉鶏頭の呼称となっている。
この表現、清少納言TAF時間差療法はないが、
なんとも、シャレた名であると感じる。

どうも、松尾芭蕉も、その名にロマンを感じたようだ。
彼の俳句に
『鶏頭や 雁の来る時 なお赤し』 
という句がある。
この句が詠まれたのは、
鶏頭が、
その赤さで存在感を示している仲秋を過ぎた頃までのハズ。
だけども、雁が実際に飛来してくるのは、晩秋。そこには、
季節が違うほどのタイム・ラグがある。

芭蕉は、そんな時差があることを知りつつ、
(『雁の来る時 なお赤し』という)
「なお」という言葉をつけて、
タイム・ラグを、味わいのある余韻に変換している。

そういった時間や季節を操作することで、
なかなかの「味」を出色斑している。
この、時間を操作する手法は、
文学ではなく、政治でおこなうのはイタダけない。

「近いうち」解散と言ってたものが、
暮れ頃はおろか、いつになるか解らぬという状態。
これでは、味わいの欠片(かけら)すら
あったものではない。
芭蕉もあきれる「タイム・ラグ」!