はセイレの手を引き

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「よい、わしが話そう。ギリーバ」
ヨミの花園から吹く風に乗り、ダゴスがなっぴたちの前に現れた。


「タオから最初に生じたものは、明るく軽い『マナ』と暗く重い『ヨミ』。『ラグナ』とは、その二つをあわせもつ、まるでタオのようなものだった。それはとらえどころの無いぐにゃぐにゃしたものだったという。タオは三番めに生じたそれを忌み嫌い、彼方に捨て去ったのだ。そのためお前たちの伝承には現れない…。やがてこの辺境の星に『ラグナ』はたどり着き、落ち着いた。しかしこの星にマナとヨミが現れた時、臆病な『ラグナ』はこの地に深く隠Amway傳銷れたのだ」

「光と闇を併せもつ生命体…、それって」
「そうだ、なっぴ、俺たちやムシビト、人間、アガルタのカイリュウ、人魚と同じ知的生命体が既にこの星には住んでいたのだ」
ダゴスは話しを続けた。

「ただひとつ違っていたのは、骨が無い。この星に寄生できる生命体が産まれてくる長い間、何も出来ない身体であったという事だがな」
「ヨミ族とは、ラグナが寄生し進化したこの星の生命体を指す言葉だ、覚えているか?マイを救ったヨミのゆりかごを、その時マンジュリカーナがヨミ族の事を『この星の先住民の末裔』だと言った事を…」
「『マイ』を再誕さ嬰兒濕疹せた時…」
なっぴはそのときのことを思い出した。

「『ロゼ』、今の私では肉体が完全に無くなったものを生き返らせる事はできません。しかし『ヨミのゆりかご』は身体のダメージの進行を遅らせる事ができます。その後、『精神エネルギー』を空色シジミ『パピィ』に変え、正しき心の戦士とともに『マナ』をため続けなければなりません…、『ダゴス』あなたの『ヨミの術』と『由美子』の正しき心のおかげでひとつの命が救われたのです。…しかし、この術は既に絶えたものと聞いていましたが…」
『ダゴス』は何も答えなかった、『マンジュリカーナ』はひと言だけ言った。
「やはり、あなたたちは『彼ら』の末裔だったのですね…」

ダゴスはこう、話を締めくくった。
「ヨミの術とは、マンジュリカーナの再誕の術とは違い、甦った物はまったくの別の意志を持つ」
「そんな再誕に何の意味があるの?」
なっぴの疑問は当然だろう。

「グフフッ、わしらの道具になるためさ…」
そこに黒サソリ『ザラム』が現れた。その瞬間ムシビトの二人は『ザラム』に吸い込まれていった。
「こうして、再誕させた『道具』を身体に取り込み、次第に力を付けていくのさ、『タオ』を越えるために…」
「お前は『黒サソリ』、では残りの棺も…」
「そこいらに転がっているだろう、馬鹿力のカイリュウの生き残りに開けさせたのさ。わしたちはひからびていたが、タオの作った物、死ぬ事は無い、『ダゴス』お前も知っているはずだろう?」
「カイリュウ?それはメイフの事か?」
『ダゴス』はそう、とぼけ康泰て言った。
「ギバハチが生きていたのさ、カイリュウの力を失わずに…」
「…」
「ぐふふっ、まあいい。新しい『道具』が手に入る前に、お前はここで殺してやろう」
黒サソリは二本の尻尾を曲げ、毒針を構えた。ダゴスは鋭い牙と足先の爪を開いた。
「ギリーバ、なっぴたちを連れて行け」
進み出ようとする『ギリーバ』の足を『ダゴス』が止めた。
「ほう、さすがヨミ族の王、今の俺の力がわかるらしい。お前たちは後でゆっくり追い詰めて殺してやる。楽しみにしていな…」

傷ついたミコをギリーバが抱え、なっぴ、歪んだ空間に消えた。
(ダゴス、死なないで…)
なっぴもザラムの強さは感じ取っていた。
(新しい敵、ラグナ…)
なっぴの胸騒ぎは収まらなかった。

なっぴたちをホテルに送るとすぐに、『ギリーバ』は引き返そうとした。彼もいやな予感がしたのだった。なっぴの声がその背中を包んだ。
「気をつけて、ギリーバ…」
「ああ…」

彼は『ねじれ』の戻りかけた空間に吸い込まれていった。




ただし男しかバトル

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シルティはヨミ族の巫女アゲハ、移住して来たムシビトの系統とはつなBetter Life 清潔液がりが無い。この星の先住民の持つ力を扱う事ができる。

 この星で産まれたアロマリカーナがアキナに使った禁呪のため、アガルタが狂い始めた。その後責任を感じたアロマはその力を「虹の石」に封印する。マンジュリカーナの力を失い、生死をさまようフローラの三姉妹を救うにはアロマリカーナの禁呪を使うしか無い。
そしてその後王国から「カブト(カムイ?ブ?ミコト)、イオ、アギト」をなっぴの元に送還することに決まった。

 ゴラリアのエレファスは生涯独身を貫くつもりだが、テラリアのコオカは色斑シルティを思っていた。一方ダーマに幻術をかけられたシルティはコオカへの思いを「フランタイヤンマ」への思いにすり替えられていたのだ。幻術から解かれたシルティは、まずは巫女アゲハとしての役目を果たさねばならない。

 竜化したカイリュウを超えるカブトたちを送還するために、シルティはついにヨミの扉を開いたのだ。




由美子はヨミ族のアシダカグモ「ドモン」と婚約中。人型の時はそうでもないが、バトルモードのドモンはこんな姿なのに何故由美子が婚約しているのか謎だ。まあ、母のスカーレット(フローラ)譲りなのかも知れない。

 ムシビトはバトルモード以外では人間と大して違わない。モードをもたない。(これはアガルタの魚人も同じだ)ムシビトの女は巫女以外は人型のままだ。巫女は髪の色や瞳が変化するがそれ以外は変化をしない。
このムシビトのバトルモードへの変化を「メタモルフォーゼ」として新加坡機票マンジュリカーナがレムリアの巫女に伝授したのである。

 さてアガルタについて触れるとカイリュウ族は「竜化の術」というもので竜に化身できた。 ただしヤマタノオロチを昇天させるためにその力を失ったのである。ギバハチの「竜化の術」が偶然に飲み込まれたクジラに守られて残っただけなのだ。カイリュウ族の女は人魚とよばれる。シャングリラ、七海の人魚は特殊な力を持つが、巫女ではない。
 レムレアの巫女に当たるのは「エスメラーダ人魚」の三人だけだ。アガルタ最高の巫女とは、アキナ、カルナ、ラミナそしてセレナへと続く。セレナが覚醒すればマンジュリカーナに匹敵する「ツクヨミの力」を使えるのだ。





一目惚れの事

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”Le coup de foudre(ル ク ドゥ フードル)” と表現する。
直訳すれば、『雷の一撃』。
まさに言い得て「妙」の言葉の代表のような気がする。

日常的にも、
C'est le coup de foudre?
(それって、一目惚れ?)
という表現を耳にする。

フランス演劇史で、一目惚れという表現が当て嵌鮮魚行まるのは、
パリで最初の「ハムレット」がオデオン座で上演されたときのこと。
時は、1826年。
シェイクスピアが芝居を書いたのが1600年頃。
それからすると相当の年数が経ってからということになる。

それまで長い間フランスでは、
古典演劇の「型」を踏襲しなければならないという回收傢私キマリがあった。

新しい演劇に対する気運があり、
劇作家や音楽を担当する作曲家も新しい演劇を模索していた。
「幻想交響曲」で知られる作曲家のエクトル・ベルリオーズもその一人。
文学者のユゴーやデュマとともにこの「ハム物理課程
レット」の芝居に注目した。

その劇自体よりも
オフェーリアの役で出てきたアンリエット・スミッソンの可憐さに
誰もが注目した。代役だったが、
多くの人にまさに”Le coup de foudre" を与えた。
かのベルリオーズも、『雷の一撃』を受けた一人だった。

一途な思いを持ち、その五年の後、
彼は、そのアンリエットと結ばれたという。

彼女も女優を捨てて
浮き沈みの激しい彼と貧苦をともにし、一子を残し生涯を終えた。
ロマン派の作曲家エクトル・ベルリオーズは、
生涯自体も”ロマン派” だったようだ。



ミュージカル

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最初にあまりよくない印象を持つと、それ以後も、動作、演技が気になった。
童顔が幼いかんじに映り、ダイナミックさに欠けた。

踊り子たちがバレエを踊るシーンは、好きだ。
クラシックバレエの基本の動きに則って軽快に、静かに、
トウシューズが床を舞う音の耳さわり、
パタパタ空気の回る気流を感じるのが、なぜか私は好きなのだ。
音楽もキレがよかったが、「ウイーン版エリザベート」のように、
生オーケストラと鑽石能量水いうわけにはいかないようで、その分は臨場感は敵わない。

客席は、両サイドに少し空席があった。
今まで私が観た観劇、、ショーや舞台で、空席があったのは、初めてだった。
お客さんのノリもあまり良くないと感じた。
アンコールや、スタンディングオベーションも数回あったものの、
わたしはなぜか、不燃焼。
一緒に行った人は、「お客さんのノリは、それほど悪くなかった」と言っていたが。
あれこれ観るようになって、私の嗜好が、変化したのか?
好みが、はっ鑽石能量水きりしてきたのか?
感性が、鈍ったのか?

しかし、主役の俳優以外は、飽きさせない演出は良かったと思う。
うーーん???主役の俳優のどこが私にとって不完全燃焼なのか????????
やはり、「ウイーン版エリザベート」と比べてしまうからだろうか???
「ウイーン版エリザベート」の歌曲は、今でも耳に残っているような気さえする。
歌唱力鑽石能量水が違うのか????

ただし、クライマックスでは、しっかり涙がほろほろと、知らないうちに流れていた。



実家で、祖父の50回忌の法要があった。

明治~大正~昭和を生きた祖父。
それからまた時代は平成を迎えた。
祖父の死後、ひとくちの50年といっても、山あり谷あり、
喜怒哀楽に彩られ、家族は変化していった。
商才のある人、ない人、幸運な人、不幸な人、成功する人、失敗する人、、、、
家族を取り巻く周りの人々も、時代とともに浮き沈みの波があった。




にピザを作ったり

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下の息子さんはまだ小学6年生だが、お母さんが忙しいから、食事の用意は慣れている。
気が向くと、小麦粉からイーストを使って本格的、オム冷凍溶脂ソバを作ったり、
主婦顔負けの創意工夫をするそうだ。
最近は、音楽(楽器演奏)にも目覚めているとか。
ご長男も親が知らない間に、私立大学在学中に、国立大学を受験し、今年、合格。
「あの子ったら、親に隠れて陰でコソコソ勉強してたのよ~」と、Fさんは言うが、
合格決定の日に、「国立大学へ行かせてく色斑ださい」とご両親に頭を下げたそうだ。
(こういうケース、けっこう耳にする)

親がかまってやれないと、それなりに子供は自立してくれる。
過保護、過干渉は良くない。
放任しても、子供は親の背中を見て育つ。


今からまた、Fさんは辛い時期に突優纖美容入する。
社労士資格勉強中は、一切遊びも余裕もなく、ひたすら勉強ばかりしていたという。
次の資格に向けて、ちょっと休養も必要かなあ~と感じるそうだ。
「その前に少しだけ、楽しい、キラキラしたものに触れたくて。
だから、また、時々お付き合いしてね」
そう言うFさん。
夢に向かって、不断の努力が続く。


なにしろ、寒い。
近鉄阿部野橋駅から急行を乗り継ぎ、約50分。御所駅へ。
御所駅から、かわいい小ぶりのバスで約20分、ロープーウェイ前へ。
温度計を見ると、氷点下ゼロ度。寒そう???

葛城登山口から、ゴンドラみたいなロープーウェイで葛城山上へ。
ゆーらり、ゆらり。高い~。
まさに読んで字のごとく、ロープのウェイだ、と実感。(→意味不明)
これ、落ちたら? 途中で止まったら?
いろいろ考えながら、でも、しっかり360度に広がるパロラマ?ビューを楽しむ。
高所恐怖症の方には、オススメしませんが。







じんときた

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今日は、週に一度のフィットネスの日。
だが、、、外は、雨。
薄暗い、鬱陶しい天気。
木曜日の社交ダンスレッスンをやめてから、この日は、どうも、活動がスムースではない。
スタート時間が決まっていないので、だらだら、ズルズル・・・。
来週こそは、ちゃんと行こう、と思うのだが、最低最小限度のフィットネスしか出来ない。
時間切れにつき、スイミングは、カットせざるを得ない。
ひょっとして、マシーン ルームではまた、あの、オゾマシキ ドラマ「牡丹と薔薇」を再放送しているかも???
今から、胸やけがしてきた。

人間、やはり、なにか迫るものがないと九龍數學老師
、自主的には、コトを起こせない。
特に私のような、意志の弱いものにとっては。
このまま、ずるずると、パソコンの前に座っていそうな悪い予感がする。

ブログに、前から書こうと思っていた「今度は愛妻家」にチャレンジしてみようか。
なにかを引きずって、なかなか書けなかった。
なんでもかんでも、すぐアップする私にしては、珍しいことだ。

と、こんなに前置きが長くなってしまい、
ここまで読んだ方は、今更、もうこの先を読む気がしなくなってしまったことだろう尖沙咀匯款



さて、「今度は愛妻家」
トヨエツと、薬師丸ひろ子の、とてもシブく、切ない映画。
涙が勝手にハラハラと流れ、優纖美容好唔好公開してまだ間もないというのに(16日 土曜日公開)
なんと、しつこく2度も映画館に足を運んで、観てしまった。
オカマの石橋蓮司は、なかなかの名演技。
2回目も、涙が流れたが、泣くシーンは、微妙に1度目と違うところだった。





おっちゃんの話はど

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いつもは、自分の持ち時間のほとんどをインターネットに費やしているので、手持ち無沙汰。
しかたないので、この3日間、やったことは・・・。
脳トレの一種で、「数独」。空いたマスに、数字をはめ股票分析込んでいくもの。
実は、ハマった。クセになる。
寝る時間になってしまい、ベッドの中まで持ち込んで、やった。
(→が、やろうとするや否や、即、眠ってしまった。脳トレを脳が拒んだようだ。
自分の脳を自分が指令しているのに、脳が勝手に謀反を起こして命令を聞かない。)
最初はものすごく時間がかかったのだが、徐々にコツを覚えたり、難解に苦しんだり。
「暇つぶし?」と娘に切り込まれたが、
「違うよ」と首を横に振るものの、ギクリ、半分戶外証婚は当たっている。

たまっていた新聞の読破。
お楽しみの土曜日だけの特集新聞(数週間分)も、読破。
株式の公開買付関係書類に、目を通す。
これまた、たまっていた書類の分類。
電子辞書の英語、フランス語、発音チェック。

そんなに時間があるのなら、愛する娘の臉部拉提ために、手の込んだ料理をすればよいのに、
私は料理が苦手。
まるで、独身一人住まいのような、かんたんメニュー。
ごめんね。M子ちゃん。
あなたが生まれた時から、母は手抜きで。
(実は、自分が生まれた時から、私は手抜き人生)

というわけで、彼女が帰って行った後、さあ、と早速いそいそパソコンに向かっている。
せっかく中毒が治癒できたと思ったのに、単なる一時的緩和療法だったのか???
また、数独もやってみる?



急にまた寒くなってきた。
温度が上がったり下がったり、で、大変。
暑さ寒さも彼岸まで、って、今年は当てはまらない。

ところで、私の感性は、ものすごく古くさい。
というか、へんにトレンドとか、少しだけ気になるものだから
よけいに「終わっている感」が強い。
かといって、お勉強に強いかというと、全くだめ。
古典や歴史、現代事情にも疎い。
ボキャブラリーも貧困、覚え間違いもわんさか。

じゃあ、どうしろと?
日常の生活も、平凡の極み。
勤勉でもなければ、ハチャメチャでもない。
その割には、秘密主義。
心を晒すことも、開示し切ることもない。
要は、何でもかんでも中途半端ということだ。

何が言いたいか、という言うと・・・・

ブログ村 自分らしさ
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にかと受けているので

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たしの母親Sというものは、じつに勝手である。

わたしが子供の頃は、子育ては放任主義で、人任せ、
(結婚はお世話になったけれど)
わたしの子供(孫)の子育ては、節目節目にお祝いなどはくれるけれど、平素は、ほとんど知らん顔、
わたしの孫育てのあたりで、老化現象、ぼちぼち認知症。
ここ最近、階段を転げ落ちるかのごとく、どん去皺どん加速度を増している。
「自分S(母親)も、かまって~。来てちょうだい~」

と、文章に書くと、なんだ、まともな母親じゃないの、という印象を受けた。
子供の道をはずさせず、しっかり育てている。
子供側からみると、大なり小なり不満はだれにでもあるものだ。
「ママ、大好き!!」と幼い頃から、老女にな眼內注射ってまでも、ママを熱く思い続けている子供は、どれぐらいいる?

そもそも、わたしは、ぜんぜん、「ママ、大好き!!」という、テレビの風邪薬のCMや、洗剤のCMに出てくるような、あんなイメージは皆無。
あれは、イメージを植え付けるために、作られたものだと確信している。

ちゃんと育ててもらって感謝はしているが、足長オジサン的な感覚もある。
衣食住、まともに生活できる環境を与えられ、学費、その他、出してもらい、
ありがたいこ起維數學教室とである。

と、冷静にアタマを下げているのだが、感情的には、いつもアタマに浮かぶのは、
嫌いな面ばかり。
結婚して、あの嫌いな母親から離れられて、どんなに幸せだったか。
幸せに育ててもらっているのに、嫌いだなんて、母としては割りに合わない。
なぜなんだろう?

性格、行動が嫌いなのだ。(とうぜん、悪い面ばかりではないけれど)
まさにわたしの格好の反面教師となって君臨している。

大人になってからでも、親からの恩恵をな、あまり大きな顔は出来ない。
そのあたりに、わたしの弱みがある。


誰のおかげで大きくなったと思っている?と仮に親に言われたとして、
「はい、親のおかげです」と当然のごとく何の抵抗もなく答えるのであるが、
母親に対して、ひとつ言えることは、
自立心がないということ。計画性がない。
「父(母Sの夫)」という大きな盾に守られて、自立心が育たなかったようだ。



いどんのカケッコ

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中年は、ローンの支払いに、追われる。
時には消費者金融。
保険を解約することも。

熟年?壮年には、満期になった定期預金。
利子だけ使うのもよし、全額、預けか染髮焗油えるのもよし、継続するのもよし。

老年は、年金で細々と。

なんだか、銀行か、生保会社のライフプランみたいになってきた。
この例えは堅実すぎて、夢がない。


と、ここで、タイムアップ。
いきなり、オチなく、突然、終わ雪纖瘦ります。人に価値観を押し付ける。

親は、特に、子供に価値観を押し付ける。

常識を教えるのは、おおいに結構。
だが、常識以外の、オプション部分、我が家流、というカラー。
その価値観が、いわゆる家風。

いまどき、一般的には、家風などないだろう。
核家族になり、家風は、一代限りの雪纖瘦ものになった。
家風がないのが、家風。
欧米の個人主義の影響を受け、オール自由、という家風もあるだろう。
親の価値観を踏襲するのか、塗り替えるのか、乗り越えるのか。
はたまた、改善して伝えるのか。
親の価値観は、基礎、土台となる。


学歴偏重。
これは、親の価値観の押し付けである場合が多い。
偏重とまではいかなくても、そこそこ無理のない学業の習得を親は子供に勧める。
野山を駆け巡り、やっほー、やほっーと原始人のように過ごさせる寛大な親もいるだろう。
ただし、意図的に教育方針でやっているのか、ネグレクトで、そうなったのか。
はたまた、教育にかける労力、時間、経済の余裕がないのか。

人を学歴や肩書きで判断するのは、大嫌いという人は、多い。
もっともだ。まともだ。
ただ???、
同時期に入社する、大勢の同期と一斉に、西宮神社のえびすさんの一番福カケッコみたいに、
横並び、並列の立場で、競争して勝ち抜かなければいけない、企業サラリーマンになったつもりで想像してみると、
同じ条件で(あるいは、優遇されている人もいるだろう)上に上がって、肩書きを得るまでになった人を、
わたしは、評価する。(あたりまえか)

ちなみに、
わたしは、力不足、甚だしく、よ~の位置にもつけなかった。
門前払いにも至らなかった。
なので、わたしの発言には、説得力はない。
ただし、すっばいブドウではなく、アリとキリギリスの、「アリさんの甘いブドウ」を評価する。


無理をするあまり、人を見下したり、人格、品性に歪を生じた人は、いくら肩書きが素晴らしくても非難を受ける。
あたりまえだ、もっともだ。
(長い間、利権をほしいままにすることに慣れ、腐敗を生じる、悪の循環?温床を作る、お偉い人々は、
当然、非難だけでは済まされない)



らタブレターがット

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ブログというものは、書かれている内容が気になるところに訪問するようだ。
人々は、より刺激的な内容に惹かれていくものらしい。

同じブログでも、刺激的なことが書かれている時期は、多くの人々はそこに集中し、
打って変わって落ち着き、なにげな香港景點い内容になると、ささーっと引く。
まあ、これは、エッセーなどのカテゴリーでは起こらない現象だと思われるが。

ブログのカテゴリーには、同好の人々が集う。
なので、興味の対象や感性も、同じようなもの、質なのだろう。

わたしだけかも知れないが、
年齢が上がってくると、生々しい事象には、あまり興味がなくなる。
ギトギト、べとべと、???体力、気力を消耗する。
そんなのよりも、爽やかな、さhong kong business schoolらっとしたものを好む。
食べ物の嗜好に似ている?
人との争いや比較も、疲れるだけだ。
自分と争うほうが、ずっといい。努力する自分を見続けるのも楽しい。
過去の自分、現在の自分、未来の自分。
比較するのは、時系列に並べられた自分。

ある意味、年とともに自分が確立されてくるのだろう。
人の動向に刺激は受けても、惑わされるには至らない。


「おかあさんは、友人がいないんやね」
と、上娘が言う。
「はい、そうですが、なにか?」
かわいげもなにもなく、開き直るというか、「友人ってなに?」と逆に彼女に質問する。

「友人たちと会って話して、お互いに経験談を聞き、取り入れ、失敗談からは学び、
友だちの友だちの話も刺激を受けたり参考急凍雞にしたりできる。
自分の指針にもなるし、会っていると、第一、楽しい。
すばらしい関係」
そう彼女は力説する。

「会う時間を工面し、時間、労力、お金を費やして、なんにも面白くない」とわたしが言うと、
それは、友だちでもなんでもない、そうだ。
そうだろう。おっしゃるとおり。


「おかあさん、一方的コミュニケーション、楽しい?」
と、ブログ更新をしているわたしの背中から、上娘が言う。
彼女は授乳させながでCNNニュース(英語)を聴いている。
いまは、オバマ大統領のなにかの発言について、キャスターが注釈を加えているようだ。
妹(下娘)にも勧め、妹が今度は聴いている。

資格試験を受けるため勉強中である上娘が、その道の先輩である下娘に質問をしていた。
下娘は、だだだーーっと、数式の説明をしていた。(ちんぷんかんぷん)
この光景を、わたしは好ましく見ている(ただし、ブログ更新中なので背中で)


とりあえず、一日一回、ブログを更新しないと、気になってしかたないという、
不思議な病魔に侵されてしまった者の、楽しくも悲劇的な日常である。


仕事オフ、姉妹の顔が揃う、久しぶりの、ゆったりした週末の午前。